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子どもの話を否定せずに聞くには?「評価しないこと」の難しさと大人の役割

保護者の方へ|子どもとの関わり方

子どもの話を否定せずに聞くには?
「評価しないこと」の難しさと大人の役割

子どものためを思って伝えた言葉が、本人には「否定された」と受け取られてしまうことがあります。

では、子どもの気持ちを受け止めることと、何でも肯定することは、どのように違うのでしょうか。

今回は「非審判的態度」という考え方について、支援者自身の子どもの頃の経験を振り返りながら考えます。

執筆:代々木高等学院 社会福祉士 建元大吾
カテゴリー:子どもとの関わり方・保護者支援
読了時間:約6分

非審判的態度とは

「非審判的態度」という言葉を聞くと、かなり強い言葉に聞こえると思います。

「非審判的態度」をマイルドに言い直すと、「相手の良し悪しを評価するのではなく、一旦受け止めてあげる」になるでしょう。

子どもの頃に否定された経験

個人的な話になりますが、私は小学生のころから母子家庭で、母一人子一人の家庭で育ちました。

私が何かしでかすと、父がいないぶん、母が私を厳しく𠮟りました。

私が悪いのですから叱られて当然なのですが、私の気持ちとしては、母は「怖い存在」として一定期間あったと思います。

同時に、母はよく否定をする人でもありました。

小学生の頃、将来の夢を聞かれた私は「大工さん」と答えました。

その時も母は、割と現実的な理由をつけて否定をしました。

子どもながらに、ひどくがっかりした覚えがあります。

中学生の頃、部活動を決める際に、絵を描くのが好きだった私は美術部に入りたかったのですが、それを母に伝えると即座に否定され、「運動部にしなさい」と言われました。

多少抵抗はしたように思いますが、結局私は、しぶしぶ運動部に入部しました。

結局3年間同じ部活を続けましたが、自分がやりたいこととは違うことを「させられている」という気持ちが強いままでいましたから、途中、数か月黙ってサボったりもしました。

当然顧問から母へ連絡が行き、学校に呼び出された私は母と顧問にこっぴどく叱られました。

その時の気持ちは、やったことへの反省よりも「だったら最初からやりたいことをやらせてくれればよかったのに」でした。

結果的に、部活を「続けるか」「続けないか」の二択を迫られた私は、「続ける」を選びました。

怒った大人二人がかりで詰められて、「続けない」と主張できるほど、私は強い子どもではありませんでしたし、そんな空気でもなかったことを覚えています。

我慢することを選んでいた子ども時代

思い返すと、私は何か嫌なことや困ったことがあったときに、多くの場合で「我慢をする」という選択をしていた子どもだったように思います。

そして、それは大人になった今でも尾を引いています。

社会人になり、福祉の世界に足を踏み入れ、たくさんの子どもたちや保護者と関わっていく中であらためて思うのは、「子どもの頃の体験は死ぬまで生き続ける」ということです。

子どもの頃の体験は
死ぬまで生き続ける。

私自身、「自己主張のできなかった自分が悪い」と思ったこともありますが、すべてを子ども個人の責任にしてしまうのは絶対に違うと、今になって思うのです。

受け止めることと肯定することの違い

ここまでかなり脱線した思い出話をしてきましたが、恨み言を言いたくてしたわけではありません。

「非審判的態度」について私は「相手の評価をするのではなく、一旦受け止めてあげる」だと最初に言いました。

ここで難しいのが、受け止めることよりも、そもそも「評価(否定も肯定も)しない」ということです。

当たり前ですが、その行動が社会通念上明らかに「良くないこと」であるならば、軌道修正をしてあげなければなりません。

なんでもかんでも「肯定」することが良いわけではありません。

そして同時に、「相手の善悪を評価し、悪なら否定して制御する」ということでは決してないということを忘れてはいけないのです。

受け止めることは、
何でも肯定することではありません。

大人は子どもの「添え木」

個人的な考えになりますが、大人は子どもの「いざという時の添え木」のような存在であるべきだと思います。

今まさに倒れようとしている時に、そっと支えてくれる、そんな存在でいるだけで十分だと私は思います。

大人は子どもの「道しるべ」

加えて、大人は子どもにとって「危険地帯へ入らないための道しるべ」のような存在でもあるべきだと思います。

道を踏み外しそうになった時に行く先をほんの少し修正して踏み外さないようにしてくれる、そんな存在であるべきです。

少し傾いたぐらいでわざわざ厳重に支える必要はありません。

行く道を1から作ってあげる必要もないですし、行く先をすべて決めてあげる必要もありません。

大人が子どものためにできること

① すべての道を決めない
② 倒れそうなときに、そっと支える
③ 危険な方向へ進みそうなときに、少し方向を示す

子どもが持っている力

とある漫画のセリフに、「子供はバカじゃないです。自分が子供の頃バカでしたか?」という言葉がありました。

これを読んだ時、私は、心から納得できたのです。

子どもはバカではありません。

少しバランスを崩したぐらいなら、こけないように自分で回避できます。

なんなら、こけて多少擦りむいたぐらいなら構わず遊び続けられます。

誰に何を言われなくても、自分の行きたい道ぐらいは自分で選べます。

多少道を間違えたくらいなら、自分で元の道に戻ることができます。

子どもは、自分の行きたい道を
自分で選ぶ力を持っています。

「言われないとわからないこと」もありますが、「言われなくてもわかること」だってあるのです。

確かに大人に比べれば、子どもは強くないかもしれません。

ですが、乳幼児でもない限り、なんでもやってあげなければならないほど弱く儚い生き物ではないのです。

否定も肯定もしない声かけ

随分抽象的な話に着地してしまいましたが、私がお伝えしたいのは一つです。

子どもの些細な行動にも一喜一憂してしまうのは仕方のないことです。

ですが、すこしだけ、否定も肯定もせずに、優しく「がんばったね」と声をかけてあげるというのも、時には必要ではないでしょうか。

否定も肯定も急がず、
優しく「がんばったね」と声をかけてあげる。

代々木高等学院が大切にしていること

代々木高等学院では、生徒の言葉や行動をすぐに評価するのではなく、まず本人の気持ちや、その背景にある事情を理解することを大切にしています。

学校に行けない、進路を決められない、親子で話し合うことが難しいなど、抱えている悩みは一人ひとり異なります。

大人が先回りして進む道をすべて決めるのではなく、生徒本人の思いや状態に合わせながら、これからの学び方や過ごし方を一緒に考えていきます。

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執筆者

代々木高等学院 社会福祉士 建元大吾

福祉の立場から、子どもたちや保護者の方と関わっています。子どもの言葉や行動だけを評価するのではなく、その背景にある気持ちを理解しながら、一人ひとりに合った支援を考えることを大切にしています。

※この記事は、子どもとの関わり方について一つの考え方をお伝えするものです。お子さまの状態やご家庭の状況によって、適切な対応は異なります。対応に迷われた場合は、学校や専門機関などへご相談ください。

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